独立して設計事務所を開業するためには、まず実務経験を積む必要があります。将来の独立に役立つ経験やキャリアを積むためには、どんな場所で働くのがよいでしょうか?
独立前に働く場所として、アトリエ設計事務所、組織設計事務所、ゼネコン設計部、ハウスメーカーなどが考えられます。どの道を選んでも独立はは可能ですが、得られる経験やスキルは異なります。また、独立後の建築家としてのスタイルにも違いが現れます。
この記事では、建築家・設計事務所として独立するために必要となるキャリアや経験を解説しています。働く場所によって得られるスキルと経験、独立を想定した場合のメリット・デメリットを紹介しています。
実際の建築家が独立前にどのようなキャリアや実務経験を積んでいるのかは、建築家の独立事例をまとめた記事、2-2 建築家の独立前のキャリアとは?独立事例、経歴、実務経験年数を紹介 をあわせてご覧ください。
設計事務所として独立する前のキャリアとは?
建築家・設計事務所として独立するには、一級建築士の登録を行うために必要な2年間、管理建築士になるために必要な3年間、合計5年間の実務経験が必要となります。
建築士の登録をするために必要な実務経験は、大学院のインターンなどで代替することができますが、管理建築士になるための3年間の実務経験は建築士として設計事務所などに所属している必要があります。
また、独立前にどのような場所で働けばよいのかや、どのようなスキルが得られるのかは、意外と知られていません。また、年輩の建築家は現在の建築士制度とは異なる状況で独立しているため、ロールモデルにできないという状況だと言えます。
2008年の建築士法の改正により、独立までのキャリアが大きく変化
設計事務所を開設するために実務経験が必須になったのは、2008年の建築士法の改正によるものです。管理建築士制度が厳格され、3年間の実務経験と管理建築士講習の受講が義務づけられました。
さらに、2020年からは建築士試験の受験に実務経験が必須ではなくなりました。合格後に必要な実務経験を満たせば、建築士登録ができるようになり、これまでとは異なるキャリア形成が可能となりました。
2008年以前は、大学院や博士課程を経て独立することもでき、著名な建築家の方々のなかには実務経験がないまま独立した方もいます。そのため、独立までの働き方について、参考になるサンプルが少なく、有効なアドバイスが得られにくい状況にあるといえます。
独立するために必要なキャリアや経験とは?
建築家・設計事務所として独立するためには、どのような経験やキャリアを積めばよいのでしょうか?
企業で働く建築士と独立を目指す建築士では、必要とされるキャリアが異なります。この記事では、企業で働きながら積み上げていける、将来独立に役立つキャリアや経験として、下記の5つを紹介します。
それぞれの項目について、アトリエ事務所や組織設計事務所など働く場所によって、どのような経験が積んでいけるのかを紹介します。
A 建築のデザインや技術などのスキル
建築デザインやそれを実現するための技術やコストコントロールなどのスキルです。いわゆる、「作品」をつくるためのスキルという点では、アトリエ事務所で働くことで得られるものが大きいと言えるでしょう。
また、アトリエ建築家の方に伺うと、作品を世に出すためのPRの手法などは、アトリエを経験していることで得られることも多かったと言います。
一方、ゼネコンや組織設計事務所では、大型プロジェクトや制約が大きいプロジェクトにおいて、デザインと両立させながら技術やコストも含めて実現可能なものに落とし込むスキルが得られます。
B 集客や会社運営のノウハウ
独立して設計事務所を経営するには、自分の力での営業・集客、総務や労務といった業務への対応、税理士や弁護士への相談など、基本的な会社運営は自分の力で行わなくてはいけません。
アトリエ事務所と言ってもさまざまですが、集客がうまい設計事務所であれば参考にできることも多いでしょう。小さい会社なので、経営状態が開示されていなくても、所長のスケジューラや出入りしている専門家をみれば、会社の状況や運営方法などは推察できる部分があります。
組織設計事務所、ゼネコン、ハウスメーカー出身の方は、所属する組織が大きすぎて、独立後のスモールビジネスの実情をつかむのに苦労されているケースも多いです。
特に組織設計事務所の場合は、30代になるとWG(ワーキンググループ)などや営業会議などに出席する機会が与えられる場合もあります。能動的に参加すれば、組織の業務改善や営業で数字を作る感覚など、組織運営のノウハウを得ることもできるでしょう。
C 開業資金と独立準備に割ける時間
開業資金の準備と独立準備に割ける時間を作れるのも、独立のためのスキルと言えます。ストレートにいえば、給料と労働時間に集約されます。
金銭的な余裕や時間を活かして、独立前に経営の勉強や独立に役立つセミナーなどに通い、知識を補完することもできます。ゼネコンや組織設計出身の方は、ノウハウを買うことで、自身の経験不足を補うのが上手い傾向にあります。
開業資金が乏しくても、事業計画やビジネスモデルが明確であれば、融資や創業補助金などを受けて、独立時の資金を賄うこともできます。ただし、奨学金の返済や資格学校の費用を捻出するのが苦しいような状況でしたら、短期的に大きな会社で働きながら経験を積むのも1つの選択だと考えます。
D 人脈やネットワーク
スキルとしての人脈やネットワークが指す範囲は広く、働いている環境によって獲得できるものが異なります。
アトリエ事務所の場合、設備や構造などの協力会社や中小規模の工務店・建設会社など、独立後にも依頼できる規模の会社とのつながりをつくることができます。また、PRプランナーなどの協力会社やメディアとのつながりをつくることもできます。
他方、組織設計事務所やゼネコン設計部で働く場合、デベロッパーなどの事業主、将来のクライアント層とのつながりをつくることができます。在籍時の人脈を活用して、時には大手組織と協働し、大型プロジェクトに参画している例もあります。
組織での仕事につながる人脈形成は30代以降になるため、組織設計事務所やゼネコン出身の方の独立時期は、30代中盤くらいになる傾向があります。
住宅系の会社では、FPや工務店、営業マンなど、住宅をとりまく関係者とのネットワークを築くことができれば強みとなるでしょう。
E 提案・課題解決スキル
アトリエ事務所、組織設計事務所問わず、コンペやプロポーザルなどの提案経験は、将来独立して仕事を獲得するために役立つスキルの1つです。
他方、オフィスビルや工場・研究所など、上場企業が発注者となる建築プロジェクトでは、クライアント側に建築の専門家がいないことも多いため、ヒアリングを通じて課題を特定し、図面や提案内容といったドキュメントを交えての課題解決力が身につきます。
課題解決スキルは、組織設計事務所で身につく能力の中でも、コアスキルの1つと言えます。一見、建築のスキルと関係ないように見えますが、こうした課題解決スキルはBtoB、もしくは法人施設と言われるジャンルで必要不可欠なスキルと言えるでしょう。
設計事務所で働く、職場別のメリットやデメリットとは?
独立前のキャリアとして、建築士としての実務経験が積める場所は、アトリエ設計事務所、組織設計事務所、ゼネコン設計部、ハウスメーカー等(建売や工務店などを含む)などの設計部門が選択肢として考えられます。
それぞれの環境で得られる経験やスキル、独立を想定したときのメリットとデメリットを紹介します。同じ組織設計事務所同士、アトリエ事務所同士でも細部は異なりますので、あくまで全体のトレンドとして参考にしてください。
アトリエ事務所で得られる経験やメリット・デメリット
アトリエ事務所で働くメリットとして、成長の早さが挙げられます。プロジェクトの規模が1人で全貌を把握できるものが多く、企画から竣工まで一貫して携わることができるためです。
デメリットとしては、きちんと経営的が成り立っている設計事務所が少なく、ミスマッチのリスクがあることです。入社前に十分吟味することをおすすめします。
小さい設計事務所で働くことで、実際に設計事務所を運営するイメージを持つことができることも独立への近道になるでしょう。そのためには、きちんと会社運営のことを考えている建築家を選ぶと良いでしょう。
また、作品を実現するためのプロセス、認知度や評価を受けるためにPRする力など、実際に建築家のもとで働いているからこそ得られる経験もあります。
広範な経験が得られるアトリエ事務所ですが、一番の懸案事項は金銭的な問題です。現在、奨学金や一級建築士の資格学校の費用捻出に苦労されているようでしたら、アトリエ事務所以外の選択肢を考えるのも良いでしょう。
アトリエ事務所の経営や働き方についての考え方を知る場として、オンラインセミナー「経営と働き方から考えるアトリエ事務所の将来像」藤村龍至×佐久間悠×納見健悟が参考になるでしょう。
アトリエ事務所で働くメリット
- 短期間でのスキル形成、成長が期待できる
- スモールビジネスの身の丈の会社運営が理解でき、独立に役立つ
- プロジェクトの規模が適切で、全体感やプロジェクトの全貌を経験しやすい
- 若い年代でも、裁量権が得やすい
- 独立後の外注先や施工者などのつながりも期待できる
- 代表とマッチすれば、飛躍的な成長が期待できる
アトリエ事務所で働くうえでの注意ポイント・デメリット
- 採用がゆるく入りやすいため、入社してからのミスマッチが多い
- 作品の質も大事だが、代表の考え方や会社運営とのマッチングが重要
- 担当できる用途・規模が事務所によって大きく異なる
- ミスマッチになった場合、退職以外の選択肢がない
- 概して所長が優秀なので、スタッフへの要求も比較的高い
- 金銭面(奨学金返済・建築士資格学校の費用)で苦戦している場合は難しい
組織設計事務所で得られる経験やメリット・デメリット
組織設計事務所で働くメリットとしては、大型プロジェクトや大手企業がクライアントとなるプロジェクトに係われることが挙げられます。独立後の設計事務所にとって貴重な、単価が高い法人施設のプロジェクトの経験が得られるためです。
担当するプロジェクトの規模が大きいため、全体感をつかみ成長するまでに期間がかかります。独立までの期間がアトリエに比べると長くなる傾向がありますが、深い経験を積むことができるメリットもあります。
デメリットとしては、組織の規模が大きいので、プロジェクトの巡り合わせに左右されてしまったり、成長しなくても放置されて伸び悩むケースがあることです。入社後に、自分を甘やかさずに努力したり、大きな会社のリソースを吸収しつくすような前向きな行動ができるかがカギとなるでしょう。
また、組織設計やゼネコン出身の方が独立しづらい要因として、会社員生活時代との生活レベルの変化が挙げられます。会社員時代に生活レベルをあげて、家庭を持ったり住宅ローンを抱えたりすると、創業初期のキャッシュのない時期を過ごすのが難しくなる傾向にあるので注意しましょう。
組織設計事務所で働くメリット
- 大型プロジェクトの設計経験が得られる
- 大手企業相手のドキュメントを通じた課題解決スキルが身につく
- 上司との相性が悪くても、異動などで回避できる
- プロジェクトの規模が大きいため、成長までの時間がかかるが経験も深い
- 給与水準もよい
※20代で400~550万 30前半で 500~700万 30後半で600~850万
組織設計事務所で働くうえでの注意ポイント・デメリット
- プロジェクトの規模が大きく、全体性の獲得まで時間がかかる
- 会社を廻すための「面白くない」と感じる仕事もある
- 組織を利用・活用して成長する意識を持たないと成長しにくい
- 独立する場合は、スモールビジネスの感覚がつかみづらい
ゼネコン設計部で得られる経験やメリット・デメリット
ゼネコン設計部と組織設計事務所は、よく似たキャリアを積むことができます。異なる点は、ゼネコンは社内に施工部門があるのでアンテナを張り巡らせていれば、工事原価の作り方やコスト設計の感覚を身につけることができるでしょう。
反面、組織設計事務所と異なり、営業や管理部門も明確にスペシャリストがいて分業化が進んでいるため、会社運営や組織運営のノウハウがつかみづらい傾向にあります。
スーパーゼネコンや準大手ゼネコンの戸田建設などは、大手組織設計事務所と大きく変わらないさまざまな用途の経験を積むことができるでしょう。ところが、中堅ゼネコンの設計部の場合、経験できる用途が工場や集合住宅などの設計施工が多い用途に限られてしまう傾向にあります。
また、公共施設は原則的には設計施工分離方式になっているため、ゼネコン設計部では例外的に実施されるデザインビルド以外での経験を積むことが難しい状況にあります。
ゼネコン設計部で働くメリット
- 大型プロジェクトの設計経験を積むことができる
- 施工・積算・営業・開発など、社内に専門部署があり、最新の知見を得やすい
- 社内に施工部門があるので、工事原価やコスト設計の感覚を身につけることができる
- 給料が飛び抜けてよい ※30代中盤で1000万円を超えることも
ゼネコン設計部で働くうえでの注意ポイント・デメリット
- 設計施工分離が前提の用途(公共・公立学校)の経験を積みにくい
- 他のゼネコン・施工者の仕様や進め方などを知る経験が得られない
- 自社の設計施工が基本なため、提案の内容や方向性が限定されることがある
- 組織が大きすぎて、営業戦略、会社運営・組織改善などがつかみにくい
- 大手5社+αとそれ以外のゼネコン設計部では、できることが大きく異なる
ハウスメーカーなどの住宅系の設計部で得られる経験やメリット・デメリット
ハウスメーカーなどの住宅系の会社での経験は、独立にあたってはやや遠回りになると言えるかもしれません。住宅のプロとして広範な知識・経験が得られつつも、認定工法などになり特殊な仕様での設計経験しか得られないというデメリットもあります。
また、ハウスメーカーの大手のなかには、営業と設計が完全に分業されているような会社もあり、クライアントとの接点が少なくなるため、独立にはマイナス要因となります。反面、プロの営業マンや提携FPと係われる環境にあるので、懇意になれば営業のテクニックを身につけることもできたり、異動を願いでて営業に転籍して経験を積むことも考えられます。
さらに、同じ住宅系でも建売系の会社や、土地取得・開発・販売などを網羅している会社の場合、得られる経験やキャリアも異なります。過度にしくみ化が進んでいる住宅系の会社だと、安定した給与や待遇は保障されますが、会社を卒業した時に活用できるノウハウが限定されてしまいます。
設計や提案の自由度があったり、営業や資金計画など受注前の段階を経験できる環境を選ぶとよいでしょう。
ハウスメーカー等で働くメリット
- かかわる物件数が多く、ユーザーの多様なニーズをつかむことができる
- プランニングの数を経験でき、家づくりのスペシャリストになれる
- イベントや住宅相談会、ウェブなどの集客方法の知識が得られる
- 営業担当者や提携FPと懇意になれば、営業のノウハウも得られる
ハウスメーカー等で働くうえでの注意ポイント・デメリット
- 住宅会社なので、戸建住宅以外の経験を積むのが難しい
- 独自仕様で効率化している会社ほど、独立後に役立つ技術が得られにくい
- 「住宅設計」自体が利益率の低いジャンルなので、独立後に苦戦しやすい
就活や転職前に、アトリエ・組織設計・ゼネコンの働き方や違いを知ろう
建築家・設計事務所独立までの道のりは、2008年と2020年の建築士制度等の変更により、以前とは大きく変更されました。独立までのキャリアについては、必ずしも先輩建築家のキャリアが参考にできない状況にあります。
これから建築家として独立を考えてる方のキャリア・働き方のポイントは以下の通りです。
- 独立して設計事務所を開業するためには、5年程度の実務経験が必要となる
- 独立前に実務経験が必要になったのは、2008年に建築士法の改正以降
- アトリエ、組織設計、ゼネコンなど、どれを選んでも独立できるが特色は異なる
- 就職・転職先を選ぶために、働く環境のメリットとデメリットへの理解が大切
建築家が独立前にどのような設計事務所、実務経験を積んだのかのキャリアの事例は、2-2 建築家の独立前のキャリアとは?独立事例、経歴、実務経験年数を紹介をご覧ください。また、独立前の準備や設計事務所の独立直後にやるべきことは、 2章 設計事務所の独立準備 の各記事にまとめてあります。
設計事務所経営ナビでは、建築士の独立に必要な知識や、設計事務所の経営や会社運営に役立つ情報を提供しています。関連記事もあわせてご覧ください。